調布基地の掩体壕 |
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現在は、小型飛行機専用?の飛行場となっている調布飛行場は、
第2次大戦中には陸軍基地として、使用されていました。首都防衛のために、三式戦(飛燕)や、五式戦などの
戦闘機が配備されていたそうです。その戦闘機を空襲から守るための掩体壕が、基地周辺に60基程度設置されていたそうです。 掩体壕というのは、戦闘機を空襲から守るための格納庫で、丈夫な鉄筋コンクリート製の、アーチ式の建造物です。 調布飛行場周辺には、掩体壕が、4基現存しており、飛行場に隣接する武蔵野の森公園内には、2基が 残っていました、というか手入れもされず放置されていました。その2基は、公園の拡張工事で取り壊すことも 検討されていましたが、保存されることになり、補修工事を終えて、6月から一般公開されるようになりました。 少し前まで、飛行場の北東側は、立ち入り禁止になっており、木々がうっそうとしていました。 その森の中に掩体壕が1基、緑の隙間から見えていました。三鷹市大沢に2基と、府中市白糸台に2基あると言うことですが、 三鷹の2基のうちあと1基はどこにあるのか不思議に思っていました。調布飛行場は、調布、三鷹、府中の3市に またがっており、飛行場の北東部分は三鷹市になりますので、おそらくもう1基はすぐ近くにあるのだろうと、 想像していました。その後、公園の整備工事が進み、木が間引きされ見通しが良くなったら、なんともう1基が すぐそばにあったのを見つけ驚きました。 その2基の掩体壕のうち南側の1基が、冒頭の写真です。周辺が整備され、掩体壕そのものも補修され 公開されるようになりました。長い年月の間、放置され風雨にさらされていたため、かなり傷んでおり、 耐震性にも問題があるため、内部には発泡スチロールを詰めて天井が落ちないように補強されたそうです。 さらに開口部は閉じられ、当時を彷彿させるように、飛燕が格納されているかのような絵が描かれています。 すぐそばには、ブロンズ製の模型が置かれ、格納の状態がわかりやすくなっています。 すぐそばで見ると、天井高が低く、これで、戦闘機が格納できるのかと思いましたが、当時は、地面を 掘り下げて高さを稼いでいたらしいです。さらに上には土をかぶせて、草木を植えて見つけにくいように 偽装していたそうです。しかし、この程度の厚みのコンクリートでは、直撃弾には耐えられないでしょうね。 機銃掃射や、至近弾程度なら、中の戦闘機を保護できると思います。それで十分とは言えないでしょうが、 効果はあったのでしょう。60年以上前の戦争末期には、B29の空爆を避けるため、この場所に戦闘機が格納され、 整備を受け、出撃の時には、飛行機にロープを結びつけて人力で誘導路まで運んだそうです。その頃の 基地や人々に思いをはせると、胸が熱くなります。 |
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ブロンズ製の飛燕の模型 |
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案内板。 | 横から見るとこんな風になっています。 |
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こちらは、上の掩体壕から、50mほど北側にあるものです。ふたがされていないので、中を見ることができます。 |
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2基の掩体壕がある場所の全景です。左に写っているのが北側にある掩体壕です。 右端に写っている小さな建物が公衆トイレで、そのすぐ左に飛燕の絵が描かれていた掩体壕があります。 |
上のパノラマ写真を写した場所は、滑走路17のエンドになり、
この撮影場所の右側は、滑走路が見渡せます。離着陸する飛行機の絶好の撮影ポイントです。 ここ以外に、府中にある残りの2基の掩体壕はどのようになっているのか見たくなりましたので、 見てきました。甲州街道と西武多摩川線が交差する場所の付近で、甲州街道の歩道からすぐ見つけることができます。 その掩体壕が、下の写真です。 |
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こちらの方が、調布飛行場にあったものよりもコンクリートの痛みが
少なく、作りもしっかりしているようです。ただ、私有地内にあるものらしく、現在は、物置として
使用されているそうです。私有地ということでもあり、今後もずっと保存されて行くのかは、不明です。 府中市白糸台には、2基が現存しているはずなので、この近くにもう1基あるはずです。そう思って 周辺を探してみましたが、どうしても見あたりませんでした。 それにしても、この場所は、飛行場から、 かなりの距離があります。こんな遠くまで戦闘機を持ってきて隠していたのですね。 私にとって、掩体壕との出会いは、今回が初めてではありません。20年近く前に自転車で甲州街道を走っていたときに、 下り線側の街道沿いにあったものを見かけております。詳しい場所は、良く覚えていませんが、おそらく 調布市内だったと思います。しかし、今は見あたりませんので、撤去されてしまったのでしょう。その、今は無き 掩体壕を初めて見たとき、アーチ型のコンクリートの建造物がいったい何なのか、不思議に思っていました。 |
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上の2枚は、府中市白糸台に現存するもの |
飛行場が近くにあることで、もしかして戦争中に作られた掩体壕
ではないか?と考えていました。ただ、不思議だったのは、高さが低く戦闘機を格納できるような大きさではなかったので、
確信が持てませんでした。現存する掩体壕を見て、やはりあのときに見たコンクリートアーチは、そうだったんだと確信しました。 私の住んでいる場所のこんな近くに、戦争の遺跡?が残されていたなんて、不思議な感覚です。 また、このような遺跡を目の当たりにすることで、60年前の大戦がより身近なこととして感じられます。 このような遺跡を保存することで、今の時代には考えられない、戦争があったことを世代を超えて伝えてゆけるのですね。 |
'2006-6-17 記 |
最終更新日:2006年6月17日 |